松本清張原作作品としては、最も成功した映画でしょう。
映像化された作品のことごとくに「失望させられている」という松本清張本人が、「原作を上回る」と評価した事でも有名です。
この作品、原作に関しては、高評価とは言い難い。
脚色を託された名脚本家、橋本忍さんも「出来が悪い」と難色を示したとか。
それでも親子の流浪、その描写に魅力を感じたらしく、そのわずか数行のエピソードを膨らませ、映画の見せ場にした事は、脚本家の圧倒的な力量を証明している。
原作を大胆に変更、効果的に構成した、この神懸かり的な脚色こそが作品の成功の決め手です。
そのあたりについて、少し書いてみます。
ネタバレ度70%
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分析
この作品はとにかく後半の構成が凄いんだけど、前半に関しては普通の清張作品と変わらない出来です。
むしろテンポが遅く、凡庸とも言える。
映画冒頭、殺人事件の捜査が行われている。
開始30分近くになって、やっと被害者の身元が判明。
犯人と繋がっていると考えられる女性が判明し、追い始めるのが開始55分。
次のシーンでその女性と和賀英良(加藤剛)がベッドにいる。
ここで観客は、この和賀英良こそが犯人なんだろうと理解します。
ここがミッドポイント。
何か大きな事件を起こすわけではなく、構成で中盤に大きな展開を見せるところが上手い。
近年では「ゴーンガール」とか、そうでした。
更に捜査は進み、和賀が過去に戸籍偽造していた事が判明。
そしていきなり捜査会議にシーンが変わり、逮捕状請求を宣言するのが開始88分。
ここまでが長い。
もちろん、日本中を回るロケーションの魅力や、昭和の雰囲気を楽しめるという要素はあるが、やはり今の観客にはかなり長い。
それでも見られるのは、橋本脚本のディテールに魅力があるから。
「ディテールに神が宿る」とよく言われるけど、一流脚本家はその点が凄い。
丹波哲郎さん、森田健作さんの二人の刑事が捜査で歩き回ったのち、砂浜で靴に入った砂を落とす描写など、唸ります。
他には、列車で食堂車に行こうとした折、足を通路に出している乗客を注意するさりげない描写など。
上手い。
脚本の段階で描写したのだろうか。ともかく上手い。
ちなみに冒頭の、手掛かりを求めて東北を回る刑事二人が何の成果も無く東京に戻ってくる、一連のシークエンス。
実はここ、脚本を読んだ黒澤監督が橋本忍さんを呼びつけて、𠮟りつけたらしい。
無駄なシーンを書くなと。脚本を知り尽くしたお前らしくないぞと(ウィキより)。
しかし橋本忍さんは黒澤監督の助言を無視。
これも凄い。
「羅生門」の脚本を評価してもらってデビューした橋本忍さんにとって、黒澤監督と言えば恩人であり師。
しかも世界的巨匠。
その人の助言をスルーなんて。脚本家としての揺るがない自信と自負を感じる。
その後、大ヒットした映画を見て、黒澤監督は何も言わなかったらしいが。
実は私から見ても、冒頭の東北のシーンの必要性は微妙だ。
捜査というものは無駄が多いと、そのリアルを描きたかったんだろうか。
何となく「天国と地獄」の要素も感じます。
そして後半。
この映画の凄味はやはり、後半に逮捕状請求の捜査会議を持ってきた事だろう。
この構成、何となく「生きる」の影響を感じます。
丹波哲郎さんが事件の説明をするのと同時に、和賀のコンサート、彼の少年時代の回想を差し挟むこのアイデアが白眉だ。
ちなみに原作では和賀は音楽評論家であり、作曲家ではない。
この変更も脚色の大きな勝利。
少年時代の回想、その素晴らしい描写の数々には唸る。
台詞無し、子と父親(加藤嘉)の演技は情愛に満ちている。
ラスト近く、この映画最高の見せ場である加藤嘉さんの慟哭は「鬼気迫る」「一世一代」という言葉が陳腐に思えるほどで、もはや演技を超えた何かだ。
素晴らしい音楽に、壮絶な少年時代の体験、その映像が重なり、ベタベタながら絶対に抗えない感動に包まれる。
ラスト、丹波哲郎さんの「奴は今、父親と会っている」の台詞が余韻を残します。
以上です。だから私は感動しました。
あと、私が一番好きな俳優の緒形拳さんも実直な警察官役で出演。
最近は親を捨てたり、子を殺したりする役を立て続けに見てたので、この役は嬉しかったです。
今回の演技からは、長年、自分は正しいと思い込んでいる人間のたちの悪さも感じられた。
まあ、それが殺される理由なんだけど。
流石です。
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