いつも良作の、特に脚本について書いてるんだけど。
今回はちょっと違う角度から。
この作品、原作は超ベストセラー、演者とスタッフの凄い熱量、お金を潤沢に使用したセットなど、冒頭から「人生賭けてます!」っていうぐらいの気合を凄く感じるんだけど、と同時に、「これはコケるな…」と思わずにはいられなかった。
何故そう思ったのか、モヤモヤしたのでちょっと考えながら書いてみます。
ネタバレ度80%
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粗筋
人並外れた嗅覚を持っているジャン(ベン・ウィショー)は、美女の体臭を集めて究極の香水を作るため、殺人を繰り返していく。
分析
これ、ウィキによると、原作は1500万部越えの超ベストセラー。
原作者は映画化するなら監督はスタンリー・キューブリックか、ミロス・フォアマン以外は無理と考えて、他の者の製作は断っていたらしい。
さすがです。よくわかってる。
私もこの内容なら、キューブリックとかじゃないと傑作にならないと思う。
その時、映画は原作とだいぶ違うものになってるだろうけど苦笑
まず、大前提。「匂い」は映らない。
失敗の要因ではないけど、かなり難しい事にチャレンジしなくちゃいけない事は確か。
そして更には、主人公が匂いに執着するだけの、他に感情を持たない寡黙な連続殺人犯なため、観客の共感は得られないし、興味も持たれない。
ただ、匂いの天才なので、「アマデウス」のサリエリのような視点ポジションを設定して解決する方法がある。
映画前半、ダスティン・ホフマンがそのポジションなのかなと思って、ホッとして見ていたら、あっさり死んだ。
嘘だろ!苦笑
このままこの主人公で物語を進めるなら、しんどいなと思っていたら、次々と美女を殺しだして、完全に「マジかよ…」となった。
まるで失敗作の予感を感じたダスティン・ホフマンが逃げ出したようにも見えた。
まあ、ベストセラーが原作なのでなかなか変更は難しかったんだろう。
そして実際、脚本は相当に難航したらしい。
映画化権を買ったプロデューサーでさえ、「主人公は自分自身を表現していない。小説はこれを補うため物語を使用する事ができる」と言ってたとか(あまり意味わからないけども)。
三人の脚本家が20もの改稿をしたらしい。
おそらくこの脚本制作の段階で、映像化するには問題がある事は気づいたと思う。
だが、もう進むしかなかったんだろう。
そんな事を思いながら見ていたら、辛くなった。
そしてドイツ映画最大の製作費を賭けて撮影に入り、監督、演者、スタッフは持てる力を最大に出している。
撮影や美術、衣装など、隅々まで神経が行き届き、本当に素晴らしいです。
だからこそ、辛い。
この主人公では何をしてもきつい!
そして性格だけじゃなく、美女をどんどん殺していくんだけど、その襲い方も行き当たりばったり感が凄い。
なのに街ではみんな、「お手上げだ!」的な悲鳴が溢れてる。
いや、この時代でも警察的な組織はいるだろう、無能にもほどがある。
この「お手上げだ!」はプロデューサーの悲鳴じゃないのか。
異常な嗅覚を利用した、特異なやり方の犯行とかなら捕まらないのもわかるんだけど、物陰に隠れて美女を襲う、ただそれだけ。その繰り返し。
そして主人公は美女の体臭を集め終わり、究極の香水を作り上げる。
捕えられて処刑される直前、その香水を集まった群衆の前で振りまく。
すると群衆は興奮し、数百人規模で、集団セックスを始める。
おいおい…。
制作陣のこれがやりたかったんだ!感は凄い感じる、迫力あるシーン。
だがいかんせん、この頃には主人公にも物語にも何の興味も沸かない状況。
そこでこれをやられても口あんぐり状態にしかならない(みんながそうとは思わないが)。
更には上映時間は二時間半。
制作陣の空回りを見届ける二時間半。
プロデューサーは破産しなかったんだろうか。
そんな事を考えながら見る、そっちの方がサスペンス。
以上です。だから私は感動しました。
この映画、実はジャンルさえよくわからない。
サスペンスとしては弱く、ドラマなら葛藤が無く、文芸ものとも言えないだろう。
迷作です。
そうは言っても、この手の熱量を感じる映画は嫌いじゃない。
何故失敗したのか、そんな事を考えながら見るのも映画の一つの楽しみ方かと。
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