「十二人の怒れる男(1957)」感想。面白い映画脚本のお手本として必ず例に出される不朽の名作!

サ行
引用元 映画.com


アマプラに来たので、久しぶりに観賞。

以前見た時は、「あー、面白かった!」とその完成度の高さにただ感嘆しただけだった。

今回はシナリオに着目して見てみました。




やはり凄い。もはやエグい。


今回の記事は気合が入ったため、少し長めです。



ネタバレ度99%
未見の方はDVDか配信で! ネタバレ上等な方はお進みください。

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分析


もはや説明不用の名作ですが。


ストーリー展開が見事なのはもちろん、やはり名作たる所以は十二人のキャラクター造形とその色分け、そしてリアリティを増すための細かな描写だ。




殺人事件の陪審員に選出された12人が部屋に集められる。有罪か無罪かを話し合って決めるためだ。



この映画ではまず舞台設定として、「暑さ」を表現してます。

陪審員たちが集うと、部屋の扇風機は壊れており、窓を全開にしても汗が噴き出す、うだるような暑さが描写される。

冒頭のこのようなさりげない描写が、作品にリアリティを与えている。

いきなり議論を始めると、やはりフィクションっぽさが前面に出ちゃうんだよね。

そして映画では議論が進んで白熱していくほど、彼らのシャツが汗で滲んでいき、生々しさが増していきます。

映像表現としてこの点、いきなり上手いです。





そして議論が始まる前の世間話で数人のキャラクターを紹介しています。

早く終わらせてナイターを見に行きたい男、何度も陪審員をした経験を持つ男、投票用紙を作りだすまとめ役、など。



そして今回の裁判の内容が紹介される。

父親を刺し殺した容疑で逮捕された少年。はたして有罪なのか無罪なのか。

二人の仲は以前から険悪だったため、ほとんどの陪審員が少年は有罪で決まりと思っている。


ところがヘンリー・フォンダだけが無罪の可能性を主張する。
「少年の命がかかっている、しっかり話し合いましょう」と。


呆れた一人が少年が殺したに決まっている、証拠も揃っていると主張。

これだけでは有罪と決められないと言い張るフォンダ。



そこで一人一人が有罪と思う根拠を披露し、フォンダに反論させるという流れになる。


これ、さりげなく提案されているんですが、好き勝手にみんなが喋るわけじゃなく、論理的に映画を進行させるため、そして事件の全貌を観客に説明するためにも上手いアイデアです。




そして披露される根拠一つ目。

少年は事件の数時間前、父親に対して「殺してやる!」と叫んでおり、事件のあった時間には、階下の老人が人が倒れる音、直後に少年が現場から逃げ去る姿を目撃している。



根拠二つ目。

少年は犯行を否定し、事件のあった時間は映画館で映画を見ていたと主張。
しかしそのタイトルも出演者も思い出せないという。更に、映画館での目撃者もいない。



根拠三つ目。

殺害現場の向かいのアパートに住む女が、少年が父親をナイフで刺す現場を、走り抜ける電車越しに目撃している。



根拠四つ目。

少年はスラム育ちで環境が悪く、窃盗、暴行の前科がある。
父親からもずっと虐待を受けており、殺人の動機がある。



根拠五つ目。

凶器は事件現場にあった飛び出しナイフだが、事件の数時間前に少年が雑貨屋で全く同じナイフを購入している。
なお、少年は購入したナイフを落としてしまい、今は持っていないと供述。

このナイフは珍しい形をしており、他の誰かが持っているとは考えられない。

これこそが有罪の大きな決め手だとされる。



これだけ証拠が揃っている、もはや反論は不可能とされた瞬間、フォンダがポケットから全く同じ形のナイフを取り出す。

珍しいナイフだが、決して手に入らないわけじゃない。
それも、フォンダは事件現場の近くの質屋で購入したという。


部屋の空気が張り詰める。ここが映画開始28分です。(映画の上映時間は96分)


事件の説明、そしてフォンダが有罪とする根拠を一つ覆して物語が動き出す。
見事なテンポ、完璧な起承転結の「起」だ。





ここで無記名投票が行われると、フォンダ以外にもう一人、無罪とする者が現れる。

当然、有罪に間違いないと思っている連中は「一体、誰だ!」と大騒ぎ。

一人は陪審員の中にいるスラム育ちの男を疑って胸倉を掴む始末。
「スラム出身を悪く言われた腹いせだ!」と。

スラム育ちの男は「私じゃない!」と主張。

大喧嘩になるところ、年配の陪審員が「無罪に入れたのは自分だ」と告白する。
「もっと話し合いたい」と。



いいですね、この静かに動き出した感じ。



場は一先ず休憩となり、観客も緊張を解く。

そしてこの休憩時間の会話から、段々とキャラクターも見えてきます。

フォンダは建築士であり、他には広告代理店、時計職人、ペンキ職人、フットボールのコーチなど。

この職業も後のストーリー展開や台詞にちょこちょこ反映されていきます。
このようなリアリティを与える設定、小さな伏線が素晴らしい。




そして休憩時間が終わり、議論が本格化します。


フォンダが目撃証言の気になっている点を告白する。

向かいのアパートに住む女は、走り抜ける電車越しに殺害現場を見たと証言した。
そして殺害現場の真下に住んでいる老人は人が倒れる音を聞いたと証言した。


フォンダの疑問は、電車が走っている時は凄い騒音で、人が倒れる音を聞く事は不可能なはずだという事。

そのフォンダの意見にペンキ職人も同調する。仕事の関係上、確かにその通りだ!と。


しかし老人が噓の証言をする理由が無い。
ここで年配の陪審員が意見する。

証言した老人は、ごく平凡な生活の中、注目を浴びたかったのではないかと。
自分の記憶違いをそう思い込んでしまったんじゃないかと。


そして目撃証言が揺らぐ中、フォンダは更に反論する。

「殺してやる!」と少年が父親に言ったというが、本気で殺すつもりだったのかどうか。

日常、殺す気が無くても、「殺してやる!」と叫ぶ事なんていくらでもあるだろうと。

「俺は無い!」と強く宣言する男もいるが、ここで、無罪と主張する三人目が現れる。


議論が熱を帯び始め、更にフォンダの疑問は続く。


少年は事件の三時間後、現場に戻ってきたところを警察に逮捕された。

父親を殺して、何故現場に戻ってきたのか? 

有罪と主張する男が苛立ちながら叫ぶ。「凶器のナイフを取りに来たんだろ!」

だが犯行時、犯人はナイフの指紋を拭っている。

それほど冷静なのに、ナイフを現場に忘れる、更に取りに戻るなんて事があるだろうか?
警察も来ていると思われるところへ?

このフォンダの疑問に対して、明快な反論ができる者はおらず、ここで四人目の無罪が現れる。




そこで有罪側の陪審員が、老人の目撃証言を主張する。

老人は事件直後、寝室から玄関のドアまで十五秒かけて走り、ドアを開けた。
そしてアパートから逃げ去る少年を見たと。

しかし無罪側の陪審員は反論する。
老人は片足を引きずっており、走れないではないかと。


見取り図で実際に検証してみると、片足を引きずっては玄関まで四十秒以上もかかる。



老人の目撃証言を主張した有罪側の陪審員は、その矛盾を突かれて苛立つ。

そして「秒数なんてどうでもいいだろ、年寄りの言う事だ、間違ってたんだろ!」と叫んで墓穴を掘る。

ハッとした顔がとても良い。





更にフォンダは頑なに有罪と主張する男を挑発する。「あなたはサディストだ!」と。
イラついた男が思わず叫ぶ。「殺してやる!」と。

そこでフォンダが一言。「本当に殺すつもりで言ったんじゃないんでしょ?」

ここで伏線を拾うか。上手い。



そして再投票が行われ、無罪が6票。

有罪無罪で半々に分かれる。映画開始63分、ここから残り33分。
ここから起承転結の「転」に、三幕構成の三幕目に入る。この時間配分も完璧です。




ここで休憩時間。


雨が降り出して湿気が増すと同時に、陪審員たちのシャツは大きく汗が滲んでいる。


しかしその中で一人、全く汗をかかない男がいる。
冷静で、落ち着いた雰囲気のこの男が、休憩後、有罪を主張する。


少年は映画館で映画を見ていたとアリバイを主張したが、その映画のタイトル、出演者を覚えていないのはありえないと。

フォンダが詰問すると、実際、この男は四日前に見た映画のタイトルを上手く思い出せない。

自分の発言の矛盾を突かれ、額に流れる汗を拭く。




そして議論は犯人のナイフの刺し方に及ぶ。

ナイフは被害者の胸に、上から振り下ろされるように刺さっていた。


ここでスラム育ちの男が重要な発言をする。

少年はスラムで何度もナイフで喧嘩をしている。飛び出しナイフに慣れた者なら、必ず下から刺すはずだと。

映画前半、スラム育ちを非難された男がここで効いてくる。上手い。



どんどん有罪側が不利になっていく。

ここでナイターを見に行きたがっていた陪審員が、話し合いが長引くのを嫌がって無罪に転向。

すると一人が激昂する。「一人の少年の命が掛かっているんです! ちゃんと考えてください!」と。

ここで作品のテーマを打ち出し、クライマックスに向けて緊張感を増したところで、再投票。

すると無罪が9票。



不利になった有罪側の男が、激昂し、怒鳴り散らす。

「スラム育ちの連中はみんな嘘つきだ、あいつらは根っからの悪なんだ! 殺したのはあのガキで間違いないんだ!」

あまりに偏見に満ちた発言に、みんなが席を立ち、そっぽを向く。

議論だけじゃなく、しっかりと画的に反対意見を見せる、上手い演出です。

この陪審員は誰も自分の意見を聞いてくれない状況に動揺し、呆然自失。
もはや何も反論できない。



ここで有罪側の最後の砦である、女の目撃証言に議論が及ぶ。

女は裸眼で法廷に現れたが、鼻にある眼鏡の痕を擦っていた。

眼鏡をかける者には必ずこの眼鏡の痕があるという。

そう証言したのは眼鏡をかけた陪審員、いまだ有罪の意見を曲げない冷静沈着な、汗をかかない男だ。


女は事件の夜、なかなか眠れずに何気なく窓の外を見て、殺害現場を目撃したと証言している。

寝る時に眼鏡をかける者はいない。

本当に殺害現場をちゃんと見たのか、この証言は信じるに足るのかと、不審が広がる。

ここで汗をかかない男までも無罪に転向。

ここにきて有罪は残す一人。



だがこの一人、意固地になって有罪を主張する。

「誰が何と言おうと有罪だ!」

数々の証拠を喚き散らすが、そのどれもが信憑性が無いと今まで議論されてきたものばかり。
喚きながらも、自分でもその疑わしさに気付いている。

そして映画冒頭、自慢げに周りに見せていた息子の写真を見つめ、びりびりに破く。

男の少年への怒りは、音信不通になっている愛する息子に向けたものだ。

男は涙を流し、一言発する。「無罪だ」と。

演じるリー・J・コップの名演が胸を打つ。



これで全員が「無罪」と意見が揃う。

泣きむせぶリー・J・コップにそっとジャケットを着せるフォンダが渋い。



ラスト、裁判所を出て散っていく陪審員たち。

フォンダが年配の陪審員とここで名乗り合い、握手する。そして「お元気で」と別れる。


粋なラストカットです。

全てが完璧、もう何も言えません。



この映画がデビューとなったシドニー・ルメット監督。

あまりにテクニカルな、老練な演出に驚く。

感性重視のセンスあるデビュー作が話題になる監督はいるが、ここまで高い演出力を感じさせるデビュー作を撮った監督は滅多にいない。




作品としては法廷サスペンスのジャンルなんだろうけど、この映画、実際、少年が犯人だったのかどうか、他に真犯人がいるのか、それは誰なのか、一切説明されない。

「人を裁く、その責任」をテーマに、その一点に集中して描いている点が素晴らしいと思う。



脚本執筆段階では、「で、犯人は誰?」「結局、少年は本当に殺してないの?」等、周囲から色んな意見が出ただろう。

そんな意見に一切耳を貸さなかった脚本家の信念が、この映画のフォンダに通じていると思う。



以上です。だから私は感動しました。


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