映画ファンが待ちに待ったあの「ジョーカー」の続編です。
本国アメリカでは酷評の嵐とか。
ここ、日本でも賛否両論ですね。ちなみに私のXのフォロワーさんたちの中では賛の方が多いかな。
私は残念、否でした。
見所あるシーンもありましたけど、少し盛り上がる終盤に至るまで眠くて仕方なかった。
何故「否」なのか。
色んな意見があるだろうけど、私の意見をつらつらと書いてみたい。
ネタバレ度80%
未見の方は劇場へ! ネタバレ上等な方はお進みください。
分析
続編として、新たなテーマを打ち出しているのは凄く評価されるべき点だと思います。
いきなりネタバレになりますが、
終盤、アーサー本人が「ジョーカーはいない」と口にするのは続編として見事な着地。
続編を作る理由がはっきりとあるのがわかる。
問題はそこに至るまでの過程だ。
ジョーカーとして振る舞うアーサーが何故その答えに辿り着いたのか、その葛藤、一番表現しなくてはならない彼の心境の変化がほとんど描かれていない。
圧倒的に足りてない。
よって突然、ポンとその答えが観客に提示される。
その答えを提示した終盤はやはりドラマが生まれて面白くなるが、もはや後の祭りだ。
酷評の理由、それはほぼこれでしょう。
ドラマとは変化だ。
そしてその作劇の基本通り、アーサーも変わるんだけど、その機微が、葛藤が、ほとんど描かれていない。
ガガ様との馴れ合い、妄想のミュージカルシーンと緊張感のない法廷劇にそのほとんどの時間を費やしている。
何故なんだ、トッド・フィリップス監督。
妄想をミュージカルにするアイデアは良いと思う。
ただ、そこに注力し過ぎたんじゃないだろうか。
結果、脚本段階で本当に突き詰めて描かなくてはいけないテーマとしっかり向き合っていないように感じる。
「この二人がミュージカルをするんだ、絶対に面白い!」とそっちのアイデアに自信を持ちすぎたんだろう。だがそれは表層的な面白さにすぎない。
妄想をたくさん描いてもそれは説明であって、ドラマにはならない。テーマを、葛藤を描くからドラマになるんだ。
スタッフの中には、撮影前に脚本の弱点に気付いていた者もいただろう。
しかし前作の成功が大きすぎて、誰もトッド・フィリップスに意見できなかったのかもしれない。
本人にも驕りが出ていたのかもしれない。そんな事まで考えさせられる。
ジョーカーに心酔する市民が描かれるが、このホアキン・ジョーカーに一番心酔していたのは監督自身だったのかもしれない。
そして更に言うと、ガガ様のハーレイクィン、キャラが全く立っていない。
ただジョーカーに心酔して、ただ幻滅する、一面的な描かれ方しかされていない。
これじゃあ、アーサーの孤独を表現するための道具です。
彼女自身が何者かになろうとしない限り、やっぱり魅力は出ないと思う。
そして彼女の行動がアーサーに影響を与えていくようにしないと、ドラマもテンポも生まれない。
この点、トッドらしくないなあ。元は「ハングオーバー!」を撮った監督、キャラ立てなんて得意分野だろうに。
と、色々批判的な事を書きましたが、もちろん見所はあります。
終盤に掲示するテーマとか、続編を作った理由が納得できる。そこは素晴らしいと思う。
ホアキンとガガ様のミュージカルシーン、完成度は高くないけど、贅沢感はやはりあります。
そしてジョーカーを演じるホアキン・フェニックスの演技は本当に説得力に満ちていて、変わらず素晴らしいです。
でもなあ、だからこそ、やはり色々勿体ない。
以上です。だから私は感動しませんでした。
ああ、私も絶賛したかった。
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