ある殺害現場に遭遇した売れない漫画家。
その時に見た殺人犯をモデルに漫画を描いて売れっ子になる。
漫画原作者の長崎尚志さんが原案、脚本を担当しているだけあって、らしい作品。
「マスター・キートン」「20世紀少年」の浦沢直樹さんとの二人三脚が有名なだけあって、サスペンスとしてしっかりエンタメしてて、最後まで魅せます。
ただ気になる点がありました。
今回はその点について書いてみたいと思います。
ネタバレ度80%
未見の方はDVDか配信で! ネタバレ上等な方はお進みください。
分析
殺害現場とその実行犯を目撃してインスピレーションを受け、漫画を描いたというのはフィクションとして面白い。
だが主人公は警察に殺人犯を見ていないと噓の証言をしている。
そしてその後、二つの家族、計八人が同じ殺人犯によって惨殺される。
主人公はこの過程で途中、殺人犯と再会し、この殺人事件(この段階だと一つ目、計四人)が彼の犯行だと知る。
それでも警察には何も言わず、更には殺人犯から漫画のアイデアを貰って、連載を続けます。
あの、この時点でもう共犯です。道義的にアウトです。
私、ここから主人公がどんどん悪に染まっていくのかと思いました。
それ以外、ストーリーが進まないだろうと。
しかし、主人公は(殺人犯と再会した直後は葛藤してましたが)以前より妻に優しくなったりして、平然と連載を続けます。
やがて妻の前に殺人犯が現れる。そこでやっと恐怖を感じ、警察に事実を告白する。
「何故、今頃話す気になったんですか?」
「私は普通の人間です。もう耐えられません」
いや、普通の人間なら、自分の嘘の証言のせいで何人も惨殺されたと知った折に、罪の意識でおかしくなってると思います。
どう見ても既に普通じゃありません。
主人公は漫画家です、最初に殺人犯を目撃した折に似顔絵を描いて警察に提出していれば、この八人は殺されなかった可能性が高い。
主人公にこの罪の意識がすっぽりと抜けているのは何故だ。
更におかしいのは、刑事の小栗旬さんが何故か主人公に優しい。
告白してくれてありがとうという感じで、「犯人は必ず捕まえます。先生は新作の事でも考えててください」とのたまう始末。
え、その先生の嘘の証言のせいで八人も殺されてるのに?
刑事としてこの対応はおかしいと思う。
そこは厳しく断罪するべきでしょう。
この状況で新作のネタを考えてたら本当にサイコパスですよ。
そして私が何より気になるのは、作品の作り手側も、主人公にこの罪の意識がすっぽり抜けている事に気付いているはずだと思う事だ。
現場にプロがこれだけいて、そこを誰も指摘しなかったとは考えにくい。
だがこの罪の意識にフォーカスを当てると、作品の主題にせざるを得なくなる。
そうすると作品が重くなる、ストーリー展開も難しくなると考えて、見ないふりをしているように思う。
観客も気づかないだろう、一気に突っ走れと。
それはだめだと思う。
ここはどれほど展開が難しくなっても、ちゃんと主人公の罪の意識について描くべきだ。
その上でエンタメにしてほしかった。
何故ならそうしないと、傑作にならないからだ。
サスペンスの傑作、例えば近年だと「プロミシングヤングウーマン」「ゴーンガール」「プリズナーズ」などはそこから絶対に逃げない。
むしろそこに向かっていくぐらいの気概を見せている。
これらの作品と比べて、何処となく軽く思えるのはそれが理由だ。
そのような作品は面白くは見れても、残らない。
結果、この作品では小栗旬さんが殺されて、主人公の菅田将暉さんはやっと罪の意識に苛まれる。
そこからクライマックスに向かっていくのだが、罪の意識が遅いよ。
ストーリーの構成上、クライマックスに向かうため、菅田さんがある行動に出るためのトリガーとして、ここで罪の意識を感じるようにさせる必要があるのはわかる。
でもそれはストーリーの都合であって、キャラの感情に反している。
それはだめだと思う。
まあ、個々のシーン、描写について、私の解釈が間違っているのかもしれません。
あくまで個人的な感想です。
と、脚本についての不満点を書きましたが、ここまでエンタメとして面白く見せるだけでも大変なものです。
豪華役者陣の熱演は見てて楽しかったです。
中でも殺人犯役のFukaseさんははまり役でした。
こりゃ本人も相当な闇を抱えているなとさえ感じましたよ…。
もはや本業で歌っている笑顔さえ怖い。
デジタルでの漫画制作ぶり、資料が溢れかえった仕事場とかリアルでした。
殺人犯の部屋の雰囲気も秀逸で、美術さんの頑張りに驚きます。
そこは素直に「楽しめました。ありがとうございます!」と言っておきたい。
以上です。だから私は感動しました。
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